主婦ゲー人生

とあるゲーマー主婦の日常

思い出すこと 思うこと

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2024年は胸が痛むニュースでの幕開けとなりました。

能登半島地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

犠牲者が日に日に増える報道を目にするたびに胸を締め付けられる思いです。

これ以上被害が大きくならないことを心から祈っています。

 

 

大きな地震のニュースを見るたび、2011年3月に起きた長野県北部地震を経験したことを思い出します。関西住みですが、当時大学生でサークルの合宿で志賀高原にあるホテルに滞在していたのです。

前日のお昼に3.11の速報、長野も相当揺れ、すぐにテレビをつけると恐ろしい光景を目の当たりにしました。まるで日本で起きたこととは到底思えない、信じたくない気持ちでいっぱいでした。

 

被害の全容もまだ分からないまま不安な気持ちで夜を迎えると、真夜中に突然大きな揺れで目を覚まします。長野県北部を震度6強の地震が襲いました。

 

同じ部屋で眠っていた友人達と慌てて廊下へ飛び出しますが、経験したことのない揺れでとても立っていられません。廊下の床に這いつくばってただただ揺れが収まるのを待つしかありませんでした。

 

揺れている間のことを思い出すと怖いというより思考停止していたことを覚えています。何も考えられない。ひたすら耐えるしかない。廊下へは本能で飛び出した感じです。

 

揺れが収まるとすぐに恐怖で感情が埋め尽くされました。なかにはパニックで涙を流す友人も。阪神大震災を経験した子でした。

 

サークルメンバーみなでロビーに集まり余震がくるたびに怯えながら夜を明かしました。ホテル倒壊や火災の恐れもあるため避難所などへ行くべき状況だったに違いないと今なら分かりますが、災害の経験もほとんど無く若さゆえ考えが至らなかったのと宿泊先での出来事でどうすればいいのか判断できませんでした。とにかく朝が来るのをひたすら待ったことを覚えています。

 

昼には迎えのバスが来てくれましたが周りはスキー場で雪がたくさん積もっているような場所だったので雪崩が起きないかと不安もありました。大学へ帰り着いたときは心からホッとしたのを覚えています。

ホテルの部屋にはタンスなどの倒れるようなものもなかったため、70名ほどの大所帯でしたがサークルメンバーに一人もケガはありませんでした。

 

 

東日本大震災の被害が想像を絶するほど甚大であったため、長野県北部地震は当時ニュースにもならなかったように記憶しています。私は揺れを経験しただけで実際に被災したわけではありません。そもそもの状況もまったく違いますが、あの時建物が倒壊しなかったのもケガをしなかったのもたまたま運が良かっただけだと思うと、今ある自分ができることは…と考えます。

 

自分にできることは何なのか、よく考えて行動する。今年の最初の目標です。

 

 

被害に遭われている方々の状況が一刻も早く改善されますように。